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教師として


教師がつくろうとする”わかりやすさ”に対する疑念
私は安易に、”わかりやすさ”を子どもにあげてしまっていいんだろうか。 と、時々思う。 ”わかる”は、個人のものだ。と同僚から聞いて、ものすごく腑に落ちた経験がある。 それを前提とすると、”わかりやすさ”も個人のもの。 ”わかりやすい”を一教師がつくろうとすれば、それは個人である教師の”わかりやすさ”に紐づく。 30人の相手がいるとしたらば、なるべく30人に近い人たちが”わかりやすい”と言ってもらえるように授業をつくろうと努力していた時期がある。だが、30人になることはあり得ないように思う。理由は、至極単純。人それぞれに”わかりやすさ”のツボが違うから。 であるならば、果たしてこの努力は、教師である私の仕事なのだろうか?と疑念を抱く。 ”わかりやすさ”が生むポジティブな側面は、子供が迷いにくい点だと感じる。 迷いにくければ、自信をもって進んでいくことができ、ひいては何らかの挑戦を促すことにつながるやもしれない。 逆にネガティブな側面は、子供がその意味を問いにくい点ではないかと思う。 わかりやすい!と感じられれば、疑念をもつ余地が生まれず、その情報自
Shinwa Miyachi
6 日前読了時間: 2分


授業において、誰が頭を使っているか【現在の私】
理科の授業時間が50分あるとする。 私は、生徒は、どれだけの時間・頭を使って考えているのか。 勝手に試算してみる。 【私】 授業時間まで Unit Plannerがない場合(単元開始の1ヶ月ほど前、あるいは長期休暇中から) 概念的理解文の作成をする 単元のトピックを起点に、トピックとして思い浮かぶ事柄/自身の経験/時事問題/ずっと気になっていたことなどを洗い出す。 洗い出したトピックに加えて、この単元で抑えなければならない内容や技能を学習指導要領で確認する。 「1」と「2」から、概念をいくつか抽出する。 抽出した概念を軸にして、”この単元を通して、生徒は何を理解するのか”(概念的理解文)を示す文章の作成に挑む。 一旦作るが、納得いかず挫ける。 ちょっと寝かす。 授業直前1〜2週間ほど前から、再度概念的理解文の作成に挑む。 概念的理解文から、問いと授業構想をたてる 納得いかないが、とりあえず授業が始まっちゃうので、据え置きした概念的理解文を使用して、抽象度を少し下げた概念的理解文と問いをつくる。 最初の1、2時間分の授業について、事実的な問いに基づ
Shinwa Miyachi
3月22日読了時間: 4分


僕は黒子でいたい。
同僚と話をしていて、大きな学びを引き出してもらえたため記録に残す。 僕の今年度の授業実践は、一貫して何がしたかったのか。 改めて気付かされた。 現在学年末の授業であるため、いわゆる”導かれた探究”に近い授業形態をとっている。 生徒に与えられた時間は8時間。8時間後に課題を完了する。 最終課題とその課題を評価するためのルーブリックを提示される。 8時間完了までに、生徒は事実的な問い6つについて自身の見解を示す必要がある。 何をどこまでどのように進めるのかについては、生徒が選択できるようになっている。 ある生徒は動画を見るし、 ある生徒は実験するし、 ある生徒は課題制作しているし、 ある生徒は困惑している。 そういう姿が授業をおこなっている理科室のあちらこちらで見られるのである。 その間、私は何をやっているかというと。 生徒の観察 内容に関する質問への回答 回答に答えるための資料参照 振り返り用紙の確認 実験薬品用具の準備と補充 学習を進めるための方法(ATLスキル)のアドバイス 学習を進めるための環境整備(資料集を開いておいたり、付箋や紙を渡したり
Shinwa Miyachi
3月3日読了時間: 3分


授業において、誰が頭を使っているか。【過去の私】
理科の授業時間が50分あるとする。 私は、生徒は、どれだけの時間・頭を使って考えていたのか。 勝手に試算してみる。 【私】 授業時間まで(前日1〜2時間) 生徒がわかりやすいと思ってくれるようにするにはどうしたらいいのか考える。 むちゃくちゃプリントを作り込む。 枠を作っておき、生徒が何をどこに書き込むのかを考える。 自分が困らないように、授業で使用する図表を何にするかどこにいれるのか考える。 むちゃくちゃパワーポイントの資料を作り込む。 アニメーションをつけて、一時的な興味をひくような工夫を考える。 色を使ったり、太字にしたりして、生徒が見やすいようにわかりやすいようにと願いを込めて考える。 むちゃくちゃ板書計画する。 課題は何で、何をまとめとして書くか、文章も決めて考える。 どこに何を書くのか、考える。 むちゃくちゃ丁寧に実験準備しておく。 トレーにすべて小分けしたものを用意しておき、トレーをもっていけば実験できるようにして、実験が如何にこの時間内に収まるのかを考える。 教科書通りになった結果を用意しておき、実験がうまくいかなかった生徒が困ら
Shinwa Miyachi
1月29日読了時間: 3分


理解を代弁してはならぬ
わたしが教師として駆け出しのころ赴任した自治体では、必ず授業の型を叩き込まれた。 黒板の左上には、赤枠で囲った”課題”を書きましょう。 これは、生徒の疑問や予想の言葉から作られるのが望ましいですね。 黒板の右下には、青枠で囲った”まとめ”を書きましょう。 これも、授業の内容から生徒自身が言葉を書いたものが望ましいですね。 というような感じ。 黒板に描かれることは、教師の言葉でなく生徒の言葉が描かれることが大事なんだ!と コンコンと叩き込んでいただいた記憶がある。 型の是非はともかく、生徒の言葉を大切に取り扱うというのは 本当に大事なんだなと今は身に沁みて思う。 小さい頃から言い換えや例えが得意だった。 人の話を聞くことが好きだったことも相まって、人の話をうんうんと聞いては 「それって、〇〇ってこと?」とか「⬜︎⬜︎みたいだね」と聞き返しやコメントをすると 相手が喜ぶことも多かった。 どうやら人というのは、その人が考えている思考を言葉にして伝えた時、 他者がそれを要約して納得のいく言葉に当てはめたり、 他者が理解を得た風に、その意味を何か別の文脈に
Shinwa Miyachi
1月4日読了時間: 3分


わかったかわからないかは、「わかりましたか」ではわからない
教師が教室の中で発する言葉。 「わかりましたか?」 今も時々耳にすることがあるけれど、 この言葉に敏感に反応してしまう自分がいる。 教師になってこのかた、"理解"ということを"理解"しきれずにここまで来た。私自身の理解についても、朧げにしか見えないのに、学習者の理解となればなおのこと。 それなのに、「わかりましたか?」 と聞くと言うことは、それで「わかった」か「わからない」かの返事を質問者は求めてるということだろう。 んー…この質問には意味があるんだろうか? わかった!と言ってても、わかってないことは多い。いやむしろ、わかったと言い切ってしまったほうがわかってないんじゃ?とさえ思う。 化学基礎の授業で、1molの水をはかりとるよう指示したことがある。(メスシリンダーを使用して18mLを量ればいい。) 始める前は皆うんうんと頷き、指示を理解していると言うことを反応によって示す。 だが、いざメスシリンダーによって水の量をはかりとろうとし始めると、混乱が生まれる。 そもそもメスシリンダーに水を入れるにはどうしたらいいのか? メモリの微調整のために、水道
Shinwa Miyachi
1月2日読了時間: 2分


お金をいただくということは
教師になった1年目からの命題。 「わたしの銀行口座に振り込まれるこのお金は、何の対価なのだろう。」 教育は何かはっきりと「これ」というものを生み出しているわけではない。 少し詳しく言えば、直接的に目的を生み出しているわけではない。 目的までの間に、何層もの何かが挟まっている。 そして目的までの間には、何人もの人が関わっている。 さらに目的までには、幾年もの時間がかかる。 そうなると、このお金に資する価値をわたしは社会に提供しているのだろうかと、 常々自分自身に疑念を抱く。 今日、職場の同僚から非常に有益な話を聞いた。 『”お金をよりたくさんもらう”ことは、私心をなくすことである。』と。 これまでわたしは、お金は生み出したことの何かに支払われるものだと思っていた。 けれど、その方の言葉を解釈すれば、お金はなくしたことの何かに支払われるということだろうか。 価値は生むものだとばかり思っていた自分の考え方が少し広がった。 むしろ価値あるものと思われるものでも、”なくすということそのもの”に価値が発生する。 逆説的だと感じて非常にウキウキしたクリスマスイ
Shinwa Miyachi
2025年12月24日読了時間: 2分


教育的インファイトのススメ
「教師としてどう振る舞うか」教師を始めてこの方、ずっと考えてきた。 THE 教師という型を纏い権威的に振る舞ったこともあれば 友人や兄弟のように親近感高めで振る舞ったこともある レアキャラのような特別感を纏えることもあったし、 とにかく感性の赴くままに動いたこともあった。 もっぱら今は、”教師として”というのが抜けているように我ながら思う。 教師である前に一、ひとりの人間として自分が思うままに動いている気がする。 個人的に今の感覚は好きだ。迷いはするものの、惑いにくい。 それもこれも、つい最近の人との出会いと関係性によって、 教師としてのスタイルが浮き彫りになってきているからだと感じる。 僕自身が生徒と対峙していて最も興味があるのは、 「あなたを突き動かす原動力は、何なのか」ということである。 そこが見えてこれば、(あるいはその時にはそうだと反証可能性をもって言えれば) その人の行動原理の一側面がわかるからである。 すると、僕の勝手な勘違いや思い込みによるアドバイスや余計なお世話が減るし、 生徒自身も自分で気づけなかった、原動力のツボに名を付ける
Shinwa Miyachi
2025年12月13日読了時間: 2分


教師が育てるのは、釣り人か、お客様か。
今年度のすべての授業が終了しました。 教科担任として授業を担当していたすべての学級に伝えていたことがあります。 情報を得ようとする人になるか、情報を受けとる人になるか。 です。こんな絵を黒板に書き殴りました。 Angler or Customer...
Shinwa Miyachi
2025年3月20日読了時間: 3分


教師のプロ意識 「何をもってして教師と言えるのか。」
このブログを始めた理由の一つに、「何をもってして教師と言えるのか。」という、 教師をしている自分に対する反抗心と言いますか、反骨心と言いますか そんな心の生み出す問いが渦巻き続けているからでした。 それこそ、教師となって5年目のあたりまでは...
Shinwa Miyachi
2025年1月25日読了時間: 2分
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