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わかったかわからないかは、「わかりましたか」ではわからない

  • 執筆者の写真: Shinwa Miyachi
    Shinwa Miyachi
  • 1月2日
  • 読了時間: 2分

教師が教室の中で発する言葉。

「わかりましたか?」


今も時々耳にすることがあるけれど、

この言葉に敏感に反応してしまう自分がいる。


教師になってこのかた、"理解"ということを"理解"しきれずにここまで来た。私自身の理解についても、朧げにしか見えないのに、学習者の理解となればなおのこと。


それなのに、「わかりましたか?」

と聞くと言うことは、それで「わかった」か「わからない」かの返事を質問者は求めてるということだろう。

んー…この質問には意味があるんだろうか?


わかった!と言ってても、わかってないことは多い。いやむしろ、わかったと言い切ってしまったほうがわかってないんじゃ?とさえ思う。


化学基礎の授業で、1molの水をはかりとるよう指示したことがある。(メスシリンダーを使用して18mLを量ればいい。)

始める前は皆うんうんと頷き、指示を理解していると言うことを反応によって示す。

だが、いざメスシリンダーによって水の量をはかりとろうとし始めると、混乱が生まれる。

そもそもメスシリンダーに水を入れるにはどうしたらいいのか?

メモリの微調整のために、水道の蛇口からぽつりぽつりとたらせばいいのか。

それとも、ぽつりぽつりとたらすための器具があるのかないのか。


これでは到底理解しているとは言い難い。

実際に”やってみる”ということを通して、はじめてわかっているかどうかが見極められる。

だからこそ、文科省はペーパーテスト以外のパフォーマンス課題を推奨しているのだろうし、そのパフォーマンスをさせてはじめて、学習者がどこまでわかっているかを見とれるのかもしれない、と思う今日この頃。


こう考えていると、「わかりましたか?」の質問は、

少なくとも自分はしたくないなと思うのです。






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