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僕は黒子でいたい。

  • 執筆者の写真: Shinwa Miyachi
    Shinwa Miyachi
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

同僚と話をしていて、大きな学びを引き出してもらえたため記録に残す。

僕の今年度の授業実践は、一貫して何がしたかったのか。

改めて気付かされた。


現在学年末の授業であるため、いわゆる”導かれた探究”に近い授業形態をとっている。

  • 生徒に与えられた時間は8時間。8時間後に課題を完了する。

  • 最終課題とその課題を評価するためのルーブリックを提示される。

  • 8時間完了までに、生徒は事実的な問い6つについて自身の見解を示す必要がある。


何をどこまでどのように進めるのかについては、生徒が選択できるようになっている。

ある生徒は動画を見るし、

ある生徒は実験するし、

ある生徒は課題制作しているし、

ある生徒は困惑している。


そういう姿が授業をおこなっている理科室のあちらこちらで見られるのである。

その間、私は何をやっているかというと。

  • 生徒の観察

  • 内容に関する質問への回答

  • 回答に答えるための資料参照

  • 振り返り用紙の確認

  • 実験薬品用具の準備と補充

  • 学習を進めるための方法(ATLスキル)のアドバイス

  • 学習を進めるための環境整備(資料集を開いておいたり、付箋や紙を渡したり)

  • そして、飲み物を飲むこと


こういう授業は、場の安心感が絶対条件だとやってみてわかった。

失敗しても大丈夫。周りも支えてくれる。真剣に取り組む姿はかっこいい。

そういう風土が場にないにも関わらず、このやり方がハマるところは想像できない。


そういった話を同僚にしている時にふと、気づいた。

僕は授業でこういうスタンスを取りたいとずっと思っていたのかもしれない。


「子どもが演者、僕は黒子。」


思えばこれまで経験した学校でもそういう振る舞いをしていた。

学級運営をしているときでも、クラスコンサートの出し物で演劇の準備をしているときでも、そして今回のような理科の授業でも。

どうやったら僕は黒子でいられるのか、というのをずっと考えていたのだなと思った。



そう気づきながら、その後に僕の口からでてきたのは、子ども視点から見た僕の振る舞いについて。もし子ども自身が、教師を演者だと思っているならば「演者が演じていない。(教師が仕事していない。)」と思うんじゃないだろうか。ということ。


子どもはどうしてだか、学校に来ると”自分は演劇を見に来た観客だ”と思うのかもしれない。そんな人が訪れた劇場で、いきなり”演じてください”と言われたとしたならば憤慨してしまうのもわからなくはない。”演者が演じている演劇を見に来たんだ!なぜこの劇場では、演者が演じないんだ?”と。


もしこういう状況が起こったとしたらば、今のところこの状況に立ち向かうための策を私は持ち合わせていない。どうしたらいいのだろう・・・。

それでも少しずつ、時間をかけて、

『あなたの人生の演者は、あなただよ。あなたが勇気を持って真剣に演じられるように、私は場づくりをするからね。必要であれば、サポートもするよ。』と伝えなければならない。

そういうメッセージをどれだけ、伝えられるか。

次年度からの授業の腕磨きをさっそく始めていくのだ。

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