お金をいただくということは
- Shinwa Miyachi
- 2025年12月24日
- 読了時間: 2分
教師になった1年目からの命題。
「わたしの銀行口座に振り込まれるこのお金は、何の対価なのだろう。」
教育は何かはっきりと「これ」というものを生み出しているわけではない。
少し詳しく言えば、直接的に目的を生み出しているわけではない。
目的までの間に、何層もの何かが挟まっている。
そして目的までの間には、何人もの人が関わっている。
さらに目的までには、幾年もの時間がかかる。
そうなると、このお金に資する価値をわたしは社会に提供しているのだろうかと、
常々自分自身に疑念を抱く。
今日、職場の同僚から非常に有益な話を聞いた。
『”お金をよりたくさんもらう”ことは、私心をなくすことである。』と。
これまでわたしは、お金は生み出したことの何かに支払われるものだと思っていた。
けれど、その方の言葉を解釈すれば、お金はなくしたことの何かに支払われるということだろうか。
価値は生むものだとばかり思っていた自分の考え方が少し広がった。
むしろ価値あるものと思われるものでも、”なくすということそのもの”に価値が発生する。
逆説的だと感じて非常にウキウキしたクリスマスイブ。
なぜかこの日に動かなくなってしまった洗濯機のおかげか、
こうやってコインランドリーでモーターの回る音を聞きながら惑える。
ん?なくすことによって、生まれる何かがあるということか?
進撃の巨人の”アルミン”の言葉が、脳裏をよぎる。
なくすとは、”手放す”ということなのかもな。






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